ヨメが

ヨメが三連休で実家に戻りました。
久しぶり?に、一人で過ごす我が家ですが一日目にしてもうとんでもない状態に陥っております。
これが熱力学第二法則!! ということは、ウチのヨメはマックスウェルの悪魔だったのか!?
いや意外と自分のことは自分でやってるつもりでしたが、全くそんな事は無かったんですね。幻想でした。
ひどいものですよ、この三十五歳は。
また、近況と言えば大概がおおっぴらにお知らせ出来ない事ばかりなので何も言えないのですが、ひとつ。若い演劇人が僕の昔書いた台本をやりたいと言ってくれまして、やってくれるようです。嬉しかったですね。
昔の僕の台本&演出はやたらめったらセリフのスピードが速いというか、根がメンドクサイ人なので脚本もしっかり書いているのにも関わらず、内容よりスタンスだと思ってたんですね。大学が社会学部だったので、マーシャル・マクルーハン的な「メッセージよりスタンス」という思い込みがあったのかもしれません。いや、あったんです、確実に。
おっさんになってからは、スタンスはもう変えれないのである意味で自由に色々やってますけど、あの頃は自分の中での演劇を固める作業だったのかも知れません。
10年くらい前に書いたもので、今読んでもなかなか面白いですけど、もうこういうのは書けないなあというか、書かないなあという印象なのが大人になった証なんでしょうか(笑)いや、自分で自分を褒めるのもアレですけど、面白かったです。これくらい暑苦しい筆力で書いたのを見たいと思いました。
SFっぽいというか、SF好きなところは、今も一緒です
ちなみにぼく的なSFはそれこそ藤子 不二雄の「(S)すこし(F)ふしぎな」で十分だと思ってまして、用は物語上での回避不能な別れだったり、ありえないけどありえたらどうしよう?的な出会いを描く為にだけ活用したりします。
話が面白くなればいいんであって、その為の装置以上のものではないです。それだけに、物語上の装置が信用できないと物語自体がうそ臭くなるので色々やるんですが。
それにしても、「(S)すこし(F)ふしぎな」は名言です。
小説は設定ヘボいと乗れないですが、マンガや映画や演劇はそこそこでいいんですよね。全く説明がなかったり矛盾してるとガッカリしますけど。
では、うちのマックスウェルの悪魔がちゃんと戻ってくることを祈りつつ・・・