鉄コン筋クリートを観に行った

okamoto20042007-01-21

少し前に「鉄コン筋クリート」を観に行った。
原作はスピリッツ連載中から「なんじゃこりゃ?カッコいい!」と、その詩的とも言えるセリフとレイアウトにモロはまりした作品だ。作品の影響力という意味では大友克洋と並ぶであろう松本大洋出世作。(この二人「もっかいあんなのやって欲しい!」という素直な読者の期待を思いっきり無視する創作姿勢もとても似ているが・・。)
して、映画だが、ほぼ完璧に原作どおり。「ふむふむ。こんなんだった。こんなんだった」という感想だけが残った。
でもよく考えたらこれはスゴイ事じゃないのか。
原作を愛している人間から見て「違和感なかった」わけだし。クロの声もシロの声も「俺の中ではその言い方じゃないんだけども・・」という場面は少しあったが違和感無く聞けた。クロの「ア゛――――――ッ!!」って叫びの再現度はかなり忠実だ。なかなか「ア」に濁点は発音できないよ。すごいぞ、嵐の二宮君。
ただ、当たり前かも知れないが、漫画って意外に想像してる部分が多いんだなあと思った。
音声はもちろんだけど、スピードとか、動き方とか、テンポとか、カメラワークとか、シーンの激しさとか、静けさとか。そういう意味では「あら?このシーンこうなるの?」という違和感がなかったわけではない。
やけに「蛇」の声がいいなあと思ってたら、モッ君だった。「沢田刑事」も要所要所キメてくるなあと思ったらクドカンだった。
松本大洋独特の(本筋とは関係ないコマが挿入される)コラージュ的手法は実に映画的だと思ってたが、映画ではあまり採用されていなかった。イコール、原作のクライマックスにある、黒地に白文字での「ソコカラナニガミエル?」のドキッとする演出は無かった。
監督が外国の人だし、文字でドキッと出来るのは識字率世界最強国家の国民独特のものなのか。代わりに「二〇〇一年宇宙の旅」なのは、まあ映画とはそういうものなのかも知れない。
そして、書こうか書くまいか迷ったのだが、一つだけ絶対に許せない所がある。
ヤクザの木村の「情婦」のキャラクターだ・・。
てめえ、なに可愛くなってんだよ!?ありゃ場末のバーのママみたいなすれきった女なんだよ!!何のために「髪の先までニコチンの匂いさせやがって」みたいなセリフがあるんだ!?木村は全然可愛くもなんともない女となけなしの夢を見るんだよ!!お互い傷つきまくった末に、ささやかな夢を持つんだよ!でもそれは女には届かない、あるいは心からは信じてくれてないんだ!だから、最後のセリフはもっと突き放した言い方なんだ!でなけりゃ木村の届かぬ「幸福」への思いが薄れるじゃないか!!そこで木村が辿り着けなかった事が強調されるから、ラストでクロとシロが「海」に辿り着けて感動するんじゃないのか!!「二人じゃないと見つからない」ってキャッチコピーは一体何のためなんだ!!そのテーマを薄めてどうする!木村の情婦が可愛くなったせいで、失われるニュアンスがどれほどあるかと!!ヌラアアアアアアア!!!
(取り乱しました。ごめんなさい)
でも、とてもいい映画です。一緒に観に行った原作知らない人間は「雰囲気は良い。話はわからん」と言ってましたが。それでは。