「アレイな殺人」

okamoto20042005-01-12

去年辺りから、どうも「鉄アレイ」が熱い。
熱いなんていうと不謹慎だけど、今までわしの中の凶器ランキングでは鉄アレイははっきり言って圏外だった。しかし昨今のこの鉄アレイの使用頻度たるやどうか。ランキング外からのいきなりのチャートインに戸惑うばかりだ。
本日も鉄アレイの文字が新聞に躍っていた。
しかし、ひょっとするとわしらは騙されていたのかも知れない。
よくある「鈍器」という名の凶器。
あれはもしや結構な確率で「鉄アレイ」だったんじゃないか?
もう少し殺伐としてなかった時代、「凶器が鉄アレイってのは、さすがに人間様を殺した物体としてちょっと不謹慎だろう」というような理由で自主規制され「鈍器」とのみ紹介されていたのではないか。
そんな風にも考えてしまう。
ただ、このアレイな殺人群は、ほとんど引きこもりや経済的弱者による一家惨殺だ。ねじれて、くたびれて、美しさなんてかけらもない腐りきった狂気の末に行なわれた犯行の道具として、鉄アレイの絵にならなさはとても似合っている。この犯行群の異常性を伝えるために、マスコミは従来どおりの鈍器ではなく、鉄アレイとの表記に踏み切ったのかも知れない。
何故、包丁じゃないのか。
ここからはイヤな想像なので、あまり読んで欲しくないだけど、顔を見たくなかったんじゃないかと思う。だから、彼らは顔を潰したのだ。鉄アレイで。
包丁では顔が残る。自分をバカにする口と、蔑む目がある、しかめる表情筋のある顔を、重い鉄アレイで完全に陥没させる。人間で無くしてしまうには刃物ではダメなのだ。
猿にも存在するという「顔を認識する為だけに特化した脳細胞」、こいつが、誰かが自分に笑いかけてくれたりすることが一切なくなり、危機的飢餓感を発信していたのかもしれない。
「やべえよ、愛されてねえよ、生命の維持には笑顔が必要なんだよ、感謝されたりとかさあ!赤ちゃんの時みたいにみんなに優しくされるように生きてくれよ、本体〜〜!!」
そんな脳細胞の悲鳴。
怪我や病気の痛みは生きていくためのアラームだ。この脳細胞の悲鳴もそうだったと思う。
本人の精神はどうであれ、肉体は常に生きようとしている。だが、彼らは悲鳴を取り除くために家族にもう一度笑いかけてくれるよう努力するのではなく、笑わない顔そのものをさっさと取り除いたのだ。
アレイな一家惨殺をわしはこんな風に理解している。
・・・でも、鉄アレイってそんなにポピュラーに一般家庭にあるのかな?そこは疑問だな、これ。